昭和52年03月06日 特別奉修委員
自分が助かるという事が、同時に人の助かるという事に繋がっておらなければ金光様の御信心の値打ちはない。自分が助かるということが、また次の人が助かって行く事の働きになってこなければたいした事じゃないと。今日あの1ページだけ読ませて頂いとるからね、後を読んでみましょうね、今朝からこれは開封したんです。「合楽親先生、いつもご心配をおかけいたしまして有難うございます、28日に木村みつのさん、裕子さん、娘さんと川村さんの三人がお参りさせて頂きまして有り難うございました。
ひろ子さんが申しますのに、教会に足を入れたとき、お徳が漲っておると申しましょうか、何とも言えない気持ちになり、お広前で親先生にお会い出来てお目にかかった時には、何と言葉で現して良いやらと、本当に感動して、まるで自分ひとりだけが親先生にお会いしたように喜んでおります。月に一回では待ちきれないと申しまして、月に2回お参りさせて頂きたいと申しております、親先生本当に有り難うございます、どうぞよろしくお願い申し上げます。
これが今日読みました、とこですね、これからはまだ読んでない。「先日お願い申しました、藤間武子、大正3年7月1日生まれでございます。二十年あまり、リュウマチで段々とひどくなりまして、今までにあらゆる医者にあせりましたが、段々ひどくなりまして、もうどうにもならなくなっております。昨年の暮れまでは、痛み止めの注射や飲み薬なども飲んでおりましたが、体に良くないといって今は何も飲んでおりません、ですから手足がうずくし歩行も困難で松葉づえをついて歩く始末でございます。
暖かい日には松葉杖をついて買いものに出かけますが、行くには行けるが手には何も持てません、ご主人がそれに行かれる始末であります、親先生どうぞよろしくお願い申し上げます。 本人は下関のホームの上がり下りが心配で、とても歩けそうにないとか、私が今ペンをおいて静馬さんに電話をしていましたら、二~三日前から両膝が痛くなったと申しております。
これではとても久留米行きはダメみたいと申しますので、私は静馬さんあなたがいくら考えても自分の力ではどうにもならないでしょう、何もかも悪い方にとってはいけない、膝が痛い時には直して頂くおかげを頂く前兆かなと思い返して、とにかく3月10日には合楽教会にお参りをさせて頂きたいので、神様お願いしますと、一生懸命お願いしなさい、おかげを頂くのが先決問題でしょうと申しました。
教会にお参りされたら、後は親先生がお出でになるのでそれまで頑張ってくださいと申しました、親先生どうかよろしくお願い申し上げます。森脇勇夫さんが日に日におかげを頂きまして、一昨日薬をもらいに汽車に乗って六つの駅をのって行かせて頂きました。帰りに散髪をして立派に一人で帰らせて頂きました、ちょっと家によりましたが、日に日に段々とおかげを頂いているのが分かります。
薬も一日に二回にならせて頂きました、病院でもビックリしているそうでございます、親先生次々におかげを頂きまして有り難うございます。秋枝ふさ子さんが、自分がおかげを頂きました事、自分の体験、この前合楽教会にお参りをさせて頂いたとき、歩かせていただいた事を、今度は静馬さんに熱心に話をしております。私は側におりまして、嬉しくて涙が出るほど嬉しく、人の助かるという事がこんなものかと思いました。
30年も信心をさせて頂きましたが、今まで一度も人に勧めたことはございませんでしたのでこんな気持ちを味わったのは初めてでございます。木村秀雄さんも川村さんも息子さんも勇夫さんと同じ精神病でございます、親先生どうぞどうぞよろしくお願い申し上げます。秋枝さんも3月10日にお参りさせて頂きたいと頑張っております、親先生どうぞよろしくお願い申し上げます。3月10日に7人そろってお参りさせて頂きますようによろしくお願い申し上げます。
次々とおかげを頂いて、そのおかげが次から次へとねおかげを頂いておる、しかも30年もああしておかげ信心をしておって、人に信心を勧めた事がなかった、結局あの、勧めておる。 結局お広前の助かる働きというものがないからやっぱそういう気も起こらなかった訳でしょうけれども、そんなら合楽のご信者さんの事を思い、言うならこれほどの助かる働きのあっておるのに、はたしてどれだけ自分が、自分の周囲にお導き出来たかと思うたら本当に、この人はまだ2~3ヶ月ですが合楽には、それも10日だけ山口から参って来るんです。
呉服屋さんです、それが大変あのおかげを頂いて、だからお参りする度に人が助かるそのおかげを頂いておる。昨日これに、六つの駅を行ってていうのは、もう10何年間精神病で病院に入院してあった、それが初めてうちに帰られるようにうなったりね、自分ひとりで、あの散髪に行ったり、もう例えばそういうおかげね。ならこの前のリュウマチの話なんかでも、もう15年か20年か悪いというわけですね。
それがその人にお導きを、それがね、大正3年4月1日生まれで、それは私と同じじゃけんおかげ頂くばいと私が言うた。そんなおかげ頂きますばいて言うたのがもう、「 」さんを動かしたわけですね、それで、あの、まぁ一生懸命お導きしておる。とても私は、まぁ足が疼くけん出けんめぇて、そういうのをこの前参ってきてから足がこうやってあの、「 」で動かなかった人がね、ここから合楽の停留所までに行く間におかげを頂いておる。
でその話を自分がおかげを頂いた話をしてしてから、あの、お参りが出来る事におかげを頂くというのを、横から聞いてね、人が助かっていくという事はこんなにも有難い事だろうかと、やはり一つのね、感動ですね。自分が助かって行くだけじゃなくて、人が助かっていくこの喜びはまた格別です。それはね、神様が喜んで下さるから、あの、神様の喜びがこちらに伝わってくるから、自分がおかげを頂いて有り難いというのとはだためが違うんです、人が助かっていくと言う事は、そういうね、働きの一つの仕組みのようなものが合楽教会にある。
昨日はあの、稲垣さんからお届けがあっておりましたが、あちらに弟さんがあの、電気商を営んで、今度ここもおかげでそれこそ信心が出来て、新しく店を今度は開かれまして、とにかく、八足から何から全部こちらで作りましたから、もう、それこそ宮崎教会が出来てから、宮崎教会の信者の中でこげな立派なご神前を造ったのは初めてだと言うので評判になって、総代さんが是非合楽と宮崎教会の違いを聞かせてくれと言うてみえた、こう言うんです。
そしてもうとにかくまぁ、いろいろ話したけれども、まぁとにかく、あの言うたり話したりしたぐらいな事ではわからんて、とにかくいっぺんお広前におひき寄せ頂きなさいと、で今日末永先生があちらへ行きますから、あちらで先生がみえるから話を聞いてくれと言うて宮崎の信者さん方もそこに集まられるようになったという、今お届けがありましたけれどね。
あの何がそうさせなければおれないかという事ですね、では何十年信心しよっても、本当にあのお祭りするとでも、ほんなカテモンのごたる感じで、お祭りしとる程度のところが多いわけですよね、所がなら合楽の、今度は黒木さんなんかの場合なんかが、あれもね、今度は新築されて、こんな立派なご神前を作られた。これも全部合楽で八足から何からして、こげな立派な、あの綾部さんのを見てからあそこと同じ様に作った。
だからね、本当にそがしこ打ち込まなければ、やはり実際は出来ないんだと、信心というものはね。もう今の秋山さんの、お届けを聞かせて頂いておっても分かるけれども、子供が熱が出て、主人が時々お参りするばってん、有り難さがいっちょん分からんもんじゃけん、その信心してからお前、病気して、そして初めの間は、金光様金光様と言うてから、ひどうなって、医者にいくごたる事するなら、でけんじゃねぇか、と言うてやかましゅう言うてね。
それでまぁお母さんに、電話をかけて来た所が、ならお母さんがそこに適当な回答を、それこそ今まで大祓い信行を、大祓い一巻しかあげよらなかったとを、先日から秋永先生からたったの一巻だけ上げちからと言われてから、それから5巻も6巻も上げるようになったら、またそがしこ打ち込むという事が、どうしてこげん有り難い、時にはもう大声あげて泣き出すごと、有り難うなったと言っとります。
その有り難うなった心持で、恵子さんに言うてやった訳ですね、とにかくアンタもおかげの泉ば開いてみてごらんって、そして御祈念してごらん、そしたらそのピシャッと心が決まるようなこちらの気持ちがね、もうお母さんがいう気持ちが、もう絶対のものを頂いて、おかげを頂くが、というてその、言うてやった。そして御祈念を終わらせて頂いてから、子供がオシッコに行くって言うげなけんで、あの抱かせていただいた時にはもうすでに熱がひいておった。
そしておかげを頂いて、お母さんそれだけじゃない、あの寝小便しよったとがもう二日間寝小便せんごつなった。そして私のその口の中に、口切れのようなものができとったのがね、もう嘘のようにおかげを頂いた、もう今度は前にかかってきた電話とはもう、その雲泥の差、もうイキイキとして、その悌子自身も感動一杯で、お礼を申し上げてくれと言うて電話が掛ったとこういうがね、そういう生きたその働きがね、次から次伝わっていくようなね、もとを頂かなきゃならん。
私は昨日、ある人の熱心に、お徳を受けて行きよるんですけど、この人が時々何って言うんでしょうか、あんたいっちょ、ここば改まらにゃというところを、改まりますと言うて、改まれんと言う様な感じですよ。昨日ここに参ってきまして、お届をしまして頂く事がね、あの、イカの刺身がこう切っとる訳です、それがようと切れとらんで、繋がっとる訳です。それでふた切れ三切れでよかつば、繋がっとるもんだけん、みんな食べてしもうとる訳です。
そして食べる時にはそのしょうゆがね、あのもうそれみんな食べなんけんもう、しょうゆでんなんでん、しょうゆを綺麗に掠ってからイカにつけて食べよるとこです、どげん思うですか、イカという事は「いかん事」と言われたら、イカをスルメにしなければいかん、そんなことはスルメと思うたら、いっちょスルメにして、味わいのあるおかげを頂かなければいけない。もう問題があります秋山さんが言っておられますように。
もう問題は本気になって取り組まなければダメだという事、教えにでも、なら大祓い信行もそうですが、だからね、もう本当に、その改まるという事を、これはいかんこれはいかんと言いながら繋がっとる。そしてそれをみんな繋がったもんじゃけん、あのしょうゆという事は、今まで信心して頂いておった紫ていう、お徳たい、なら安心たい。安心までもきれいに。
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